加藤哲夫さんと、場づくりについて。

今週19日(土)、「芝の家」に加藤哲夫さんを招き、「コミュニティの力を引き出す場づくりの秘訣」というテーマで、お話しを伺います。「芝の家」を起点に、さまざまな活動が広がるきっかけになればと考えています。まだ定員に余裕がありますので、ぜひどうぞ。
申し込みおよび詳細は、以下をご覧ください。
【芝塾:芝の家コミュニティづくり勉強会】コミュニティの力を引き出す場づくりの秘訣。
加藤さんの存在を知ったのは、大学院生の頃。その著書『市民の日本語―NPOの可能性とコミュニケーション』を知人に薦められて読み、感銘を受けたのがはじめでした。昨年、仙台で開催されたカルチュラル・タイフーンの分科会にお招きし、ご一緒する機会を得ました。
ところで、この『市民の日本語』から影響を受けた人は、かなり多いのではないかと思います。現場のコミュニケーションを、現場の言葉で丁寧に吟味した「実体」ある本。これを機に何年かぶりに再読しましたが、日々実感していることをもう一度言語化し直してくれる「本当らしさ」を感じました。お薦めです。
一週間を5日で過ごす。
性懲りも無く、プチ生活実験を実践中です。
今回は、「1週間を5日で過ごす」という実験。出講日の金曜日だけは、いつもどおり朝起きて夜寝る「24時間サイクル」で過ごしますが、あとの6日間を「36時間サイクル」で寝起きしています。普通の人の3日分の時間を、2日として過ごしてみたらどうなるのか。理論的には、普段たとえば毎日8時間寝ているところを1.5倍の12時間ずつ眠れば、睡眠時間は減らさずに「睡眠回数」を減らせるので、職場との往復や着替え、晩酌の時間(とお酒の量)が節約できるはず。一日8時間働くところを、これまた12時間に延長すれば、これまでの「目先の作業だけこなしているうちに一日が終わる」という慌ただしさも緩和され、原稿を書いたりゆっくり本を読む時間も生まれるのではないか。・・・いや、いろいろ無理がありそうなのは承知です。でもやってみないことには、わかりません。
具体的には、こんな感じ。
金曜の晩に帰宅したあと普段通りに眠り、次に起きるのは土曜日の昼。10時間から12時間たっぷり寝ます。土曜の午後から活動をはじめて、そのまま翌日曜の昼までめいっぱい休日を満喫。日曜の正午すぎに布団を敷いて就寝。月曜の午前0時ごろ起きだして、仕事をはじめます。次に寝るのは、月曜の晩。それまで約24時間が、ウィークデーの時間として自由に使えます。
先週から、合宿研修に参加していた連休中をのぞき、可能なかぎり「36時間生活」をしているのですが、悪くありません。まず、これまで毎日「もう起きなきゃ」という気持ちで起床していたのに、今は目覚めると「あ、もすこし寝なきゃ」と思います。それだけで気分がよい。僕はもともと長時間眠るのがあまり苦痛ではないので、こまめに眠るより1回ごとにたっぷり眠る方が(少なくとも精神的には)あっているようです。
仕事の時間も、たとえば月曜の未明から朝にかけては、文章を書くなど頭を使う作業に費やし、日中は「芝の家」の運営や人と話し合うような時間を過ごす。いい加減くたびれてきた夜になって、事務作業などをこなす。肉体労働や極度に集中力が必要とされる職種であれば20時間近くぶっ通しで働くなんて無謀ですが、場の運営も研究も、効率よく時間を短縮できるような仕事ではないので、1日36時間ぐらいあったほうが、感覚的にはフィットするようです。
これを続けていくと、それなりに不具合は生じるのでしょうけども(たとえば水曜日の午後に熟睡している、など)、しばらくこのサイクルで生活してみようと思っています。
ところで、このことを他の人に話すと、みなさん一様に「いつ食事するのか?」、「一日何回食べるのか?」「いま食べているのは何ごはんか?」を気にされます。ううむ。実は、この計画をたてるにあたって、まったく食事のことを配慮していませんでした。自分がいかに「食べること」より「寝ること」に執着があるかがよくわかった次第。
アートミーツケア学会

12月5日(土)、6日(日)の両日、慶應義塾大学三田キャンパスおよび周辺地域にて、「アートミーツケア学会2009年度総会・大会」を開催します。
東京の開催は、今回がはじめて。比較的関西での活動が多いアートミーツケア学会ですので、東京の方はこの機会にぜひ足をお運びください。分科会はキャンパス外に出て、「三田の家」や「芝の家」でも開催されます。
見所は、写真家・石内都さんの基調講演(5日)と、鷲田清一先生と熊倉敬聡先生によるダイアログ(6日)。チラシにも使用させていただいている上の「手」の写真は、石内さんの作品です。手の主は、大野一雄さん。以前(まだ地面に建っていた)ノグチルームで踊っていただいたご縁もあり、この写真を使わせていただきました。
坂倉は、分科会A「大学地域連携によるコミュニティの居場所」を担当しています。宇都宮大学「ソノツギ」、大正大学「大正さろん」の先生およびスタッフの方々と、大学地域連携の場づくりの現場をめぐるいろいろを話し合いたいと思っています。他の分科会もかなりユニークな内容ですし、プレゼンテーションも、全国の興味深い実践に触れるよい機会になりそうです。
ご予約や、プログラム詳細は以下をご参照ください。
アートミーツケア学会2009開催概要
6日(日)午前中の、プレゼンテーションの発表者/タイトルも決定したようです。ご参考まで。
プレゼンテーション発表者
学会員だけではなく、誰でも気軽に参加できる「学会らしくない学会」です。ぜひ、ご参加ください。
「ふれあいの居場所」と「コミュニティカフェ」の集い
今週、二日連続でふたつのシンポジウムに参加します。
ひとつめは、さわやか福祉財団の主催する「ふれあいの居場所普及サミットin東京」。パネルディスカッションおよび分科会「大学との協働」に参加させていただきます。
11月11日(水)10時〜17時、@東京都社会福祉保険医療センター
→詳細はこちら(pdf)
もうひとつは、「コミュニティカフェ」をキーワードに、全国のコミュニティの場をネットワーク化を推進する長寿社会文化協会による、「コミュニティカフェ全国連絡会設立記念シンポジウム」。
11月12日(木)16時半〜19時、@日本財団2階会議室
→詳細はこちら(pdf)
「ふれあいの居場所」と「コミュニティカフェ」。キーワードが違うぶん、各シンポジウムに集まる人は、重なりあいながらも微妙に関心を異にするのかもしれませんが、大きな流れとしては、ゆるやかな人間関係を育む「場」が社会のそこかしこで必要とされ、多くの草の根の運動で実現されつつあるということは確かなようです。現場を持つとどうしても身動きが取りづらくなって、他所に足を運ぶ機会が少なくなるので、こうした機会にいろいろな方に出会えることを楽しみにしています。
ほへっとした秋のいろは通り
「芝の家」の一周年を記念して、「いろはにほへっと芝まつり」を開催しました。

「いろはにほへっと芝まつり」の様子は、義塾のサイトにも様子が掲載されています。よかったら覗いてみてください。
子どもから大人まで、準備にあたった方々だけで約60名という大所帯。近隣の軒先や店舗もお借りして、束の間「いろは通り」が賑わいのある通りになりました。
都市計画において道路の機能は、通行、アクセス、空地の3つに分けられるのだが、通りを介して人々が集う光景を見ていると、それが人々の交流空間としても重要な役割を果たしている、ということを実感する。もちろん道路占有などできないから、通りに面した軒先や店舗に点々と「お店」を出し、通りは直接的には、それらの小さな会場を結ぶ通路としての役目を果たしているに過ぎない。けれども、人々が通りを行き交うことではじめて具現化する、独特のオープンな公共性があるのではないだろうか。この公共性がまちを満たしているかいないかで、その地域コミュニティの質はずいぶんと左右されるはずだ。だとしたら、通りのつくり方・使い方は、地域社会に無視できない要素だといえる。
という視点から考えれば、軒先を掃除すること、鉢植えを設えること、私有地を提供して縁台を置くこと、といった小さなアクションについても、それらが何を表現しているかという軸から、もっと評価されてよいのだろう。通りにおけるコミュニケーションコードを変えるなどといえば漠然として手に負えないように感じるが、それは通りの使用者たちによる小さな作法の積み重ねで成り立っているに違いない。通りの使用は制度上は警察の管轄であるし、一般的な常識ではどうしても道路が最優先させるべきは自動車などの通過交通だと思われがちだ。それは事実ではあるけれども、一方では、誰のための通りなのか、通りによって保たれる公共性もあるのではないか、といったことを考えていかなければいけないな、と思う。そして、こうした通りに集う機会を、年一回でも続けていくことで、何かが変わっていくという手応えも感じる。そんなことを考えた秋の一日でした。
見つめる鍋は煮えない。
9月末は僕にしては珍しく、いろいろな〆切に追われてたいへんだった。論文の最終稿、本の原稿、映像、グラフィックデザインなどなど。
授業の準備もままならなくて、秋から始まるセミナーは(苦肉の策として)、外山滋比古さんの『思考の整理学』を教科書にすることにした。あらためて目を通してみて、自分の思考や発想を徹底して外部化する姿勢に、感銘を受ける。自分の思考の他者化といったらよいか。思いついた発想を「寝かせ」、「発酵させる」。そんな方法のヒントがたくさん。
初読ではない。でも、前に読んだときには、「ノートのつくり方」とか、そういうテクニカルな点に目がいっていたような気がする。いまは、その方法論が立脚しているところにある、「思考は自律的に育つもの」という突き放した態度(自分に対する自信でもあると思うけれども)のほうに、心が動かされる。思考も、アイデアも、おそらくは意欲だって、感覚的には「向こう」からやってきてくれるもの。いかに「やってくる」状態をつくるか、そしてそれをうまく育てるか。それらは力んでひねり出すものではない。達人になればなるほど、いかに身体と頭の力を抜いて憑衣体質をつくるかが、大切だと感じられるようになるのだろう。そうなんだよなあ。
9月末は〆切がたくさんあって、と書いたが、9割がたはちゃんとおさめたものの、実はこぼれている仕事もあってですね。いまそれに取り組んでいる訳なんですが。はやくやってこないかなあ、この原稿のアイデア。と待っているうちに今日も日が暮れるわけで。「見つめるナベは煮えない」、わけで。こまったものです。
坂倉杏之介という人物

本名の「杏介」のかわりに「杏之介」という名前を使いはじめて、数ヶ月が経ちました。改名(というほどでもないが)の理由はいろいろあって、たとえば、姓名判断が大凶なこと(を、妻が気にしている)とか、芝の家で小学生に呼ばれる名前が「坂倉さん」や「杏介」では、ちょっとカタいかな、と思ったことなど。ほかにも、「杏之介」という字づらが、インパクトがあってなかなかよいなと思ったという理由もある。
ものは試しと使い始めてみると、思いのほか順調に使われる範囲が広がって行き、半分とはいわないまでも、かなりの程度、「杏之介」という人物が浸透してきている。郵便も「杏之介」で届くし、あまり努力せずとも自然に伝播していくということは、環境との相性も悪くないのだろう。
ところで、おもしろいことに「杏之介」という人は、「杏介」とは全然ちがう人格を持っている。どちらも自分のことなので、自分で驚くのもどうかと思うけれども、明らかにこの二人は別人だ。それはもう、自分でも、びっくりするくらいに。
「杏之介」は、「杏介」に比べると、かなりいいかげんで楽天家だ。「杏介」は、もっと緻密で、ものごとを巧くやろうとがんぱる。きっちりやらないと気が済まないぶん、完璧にできないと落ち込む傾向がある。そのへん、「杏之介」は、間違えたりできなかったことを認めるのを厭わない。それどころか、自分の失敗を自信満々に表明したりする。
一緒に仕事をする人からみて、一見すると「杏介」のほうが頼りになりそうなものだが、「杏介」が心配するほど、「杏之介」のテキトーさは、周囲に悪い影響を及ぼしていないように感じる。むしろ、ものごとの運びは、「杏介」ががんばるよりも、うまくいっているようにも思えるから不思議だ。
ということを書いて、精神分析家・ウィニコットの「good enough mothering」を思い出した。神経質に完璧を求める母親よりも、「ほどほどに良い母親」が、うまく子どもを成長させるという理論。子育てだけでなく、「ほどほどに良い」ことが、コトを巧く運ぶということはありそうだ。完璧な人が、チーム全体のポテンシャルを100%引き出すとは限らない。そう考えれば、もしかしたら「杏之介」のほうが、他の人にとってはより一緒に働きやすい人格なのかもしれない。
だが、どうして「杏介」と「杏之介」がこうも違うのかという点については、いまのところ謎だ。このまま使い分けていくのか、あるいは「100%杏之介」の人生にシフトして行くのかも不明である。とりあえずのところ、感触は悪くない。今後とも「坂倉杏之介」という人物を、どうぞよろしくお願いいたします。
LIFE ON BOARD @ CET090718

最近、僕自身はすっかり活動が鈍ってしまっていますが、BPA(BOAT PEOPLE Association)に新展開です。東京都歴史文化財団による東京アートポイント計画の一環として、水上クルージングを実施します。今回のクルージングは、セントラルイースト東京とのコラボレーションによる、東京アートポイント計画のお披露目のためのワンデイ・イベントの一プログラムとして行われますが、BPAとしては、継続的な水上リサーチプロジェクト「LIFE ON BOARD」の第一歩という位置づけでもあります。
ワークショップの企画などはタッチできなかったのですが、クルーズ船に取り付けるフラッグのデザインだけ、やらせてもらいました。運河のような鍵のような図形をメインビジュアルにしています。
クルーズの詳細は、LIFE ON BOARD@CETをご覧ください。申し込みもこちらからできます。
あわせて、BPAのサイトもリニューアルされています。ぜひご覧ください。
Educe Cafe:対話の生まれる『場』のデザイン
東大大学院の森さんに招いていただいて、本郷で小さなレクチャーをさせていただきます。明日(6/15)の夜18時から。(ってほんと直前ですみません)
定員20名の小さな場なので、ゆっくりじっくりお話しできそうです。清里で出会った上田先生との再会でもあり、実は福武ホールをまだ訪れたことがないので、いろいろな意味で楽しみです。
詳細はこちらから
→Educe Cafe:対話の生まれる『場』のデザイン







