我と汝とのあいだに存在するアート

by SAKAKURA kyosuke | 2012/ 05/ 12 | Posted in art,etc,notes | 

 感情は<所有される>が、愛は生起する。感情は人間のうちに住む、しかし愛はそうではなく、人間がみずからの愛のうちに住むのである。これは比喩ではなくて、事実である。すなわち愛は「我」に付着して、「汝」をただ<内容>や<対象物>として所有したりはしない。愛は「我」と「汝」との「あいだ」に存在するのである。このことを識らぬ者、みずからの存在でもってこのことを識っていない者は、たとえ彼が自分の体験し、経験し、享受し、表出する感情を愛であると思いこんでいようとも、愛を識らぬのだ。愛とはひとつの宇宙的なはたらきなのである。だから、愛のなかに立ち、愛のなかにおいて観る人間にたいしては、ひとびとはみな、そのせせこましい営みとのかかわり合いから解き放たれ、善きも悪しきも、賢きも愚かも、美しきも醜きも、交わるがわる生きた現実となり、「汝」となり、解放され、歩み出てきて、かけがえのない唯一の実在として彼に向かいあうのである。(マルティン・ブーバー『我と汝』)

今日は終日、書斎で原稿書き。ブーバーの『我と汝』。「愛」を「アート」に置き換えて、読んでみる。アートは、汝を内容や対象物として所有したりはしない。アートは我と汝とのあいだに存在する。それを識らない者は、たとえ彼が自分の体験し、経験し、享受し、表出する感情をアートだと思い込んでいても、アートを識らない。アートはひとつの宇宙的なはたらきなのだ。アートのなかに立ち、アートのなかにおいて見る人間に対しては、人々は解き放たれて、善きも悪しきも、賢きも愚かも、美しきも醜きも、交わるがわる生きた現実となり、汝となり、解放され、歩み出てきて、かけがえのない唯一の実在として彼に向かいあう。