この世では、待つことを学ばなければならない

by SAKAKURA kyosuke | 2011/ 09/ 26 | Posted in etc,notes | 

たとえば、流星のおちる音。
おうむが内心ほんとうにいいたかったことば。
それに、盲導犬の生まれながらのほえ声。
これらは、今のぼくにはきこえない。音がしないんじゃない、遠すぎる。要するに、距離の問題だ。ひとははじめからきこえる音でやっていくしかない。きこえるべきものは、そのときがくればちゃんと耳にとどく。
熟練のティンパニ奏者のように、ぼくは待つことを学ばなけりゃならない。それはなかなかにむずかしい。ばかといわれても、へんてこ呼ばわりされても、けっしてばちを捨てず、ステージのいちばんうしろでじっと立っていること。そのときをきき逃さぬよう、ちゃんと耳をかたむけて。
ずっと長いあいだ、ぼくのまわりには音があふれてた。
そして今もあふれてる。
でたらめなこの世の騒音は、たったひとつのリズムがきっかけで、目の覚めるような音楽となる。
(いしいしんじ『麦ふみクーツェ』、理論社、2002年、406頁)