ほめられもせず、けなされもせず。

by SAKAKURA kyosuke | 2011/ 08/ 6 | Posted in etc,notes | 

必要があって書き写したので、ついでに。
セルフエスティーム、「自分を大切にする」ということ。加藤さんのこの説明は、とてもしっくりくる。

正解は外側にあるという奴隷の原理

セルフエスティームとは「自分自身の価値を認め、自分が好きであり、自分を大切にできる」という、日本語になりにくい言葉なんですけども、私たちの社会はこれをむちゃくちゃに壊しているんじゃないか。特に近代教育の「正解は外側にある」という枠組みがこれを壊しているんじゃないかと思うんです。セルフエスティームを育てたりはぐくむということは、近代教育の枠の中とは違った場や空間をいかに上手にしつらえていくかです。それがないとセルフエスティームは育たない。「ほめる」ということでそれをやろうという主張もあるんですが、「ほめる」というのは「けなす」というのと同じであって、他人の評価によって自分を獲得するということなので、これでは大差ないです。もちろん他者によって自分がみえるからセルフエスティームは形成されるわけですが、その他者のみえ方というのが「ほめる」という行為によってしか見えないのでは、その他人の評価と顔色を気にする人間を作っているに過ぎないんです。これは根本的にはセルフエスティームが育つとは言えないわけで、ほめられもせず、けなされもしないのに、あるいは誉められようが、けなされようが、自分が自分であることを肯定できる状態があり得る、ということを土台におかなくてはいけないと私は感じているわけなんです。

加藤哲夫『市民の日本語 NPOの可能性とコミュニケーション』、ひつじ市民新書、2002年、44-45頁。