茶堂=日本的コミュニティセンター?

by SAKAKURA kyosuke | 2010/ 11/ 16 | Posted in notes,[notes]芝の家,居場所/コミュニティカフェ | 

新潟の河田さんに紹介していただいて、久田邦明さんの『生涯学習論―大人のための教育入門』という本を読みました(→amazon)。

いささか生真面目なタイトルですが、教科書的な概論ではありません。学校教育や社会教育を地域コミュニティの網の目のなかに置き、現在の課題を、高度成長期以降の地域社会の変化に位置づけることで、その本質的な問題の所在を論じた視野の広い本。学校教育や社会教育は本来、地域コミュニティが十全に機能していることを前提としていたにもかかわらず、その関係性が忘れられ、また地域コミュニティ自体が失われたことによって、多くの問題を抱えるに至ったという構造がよく見えてくる。それゆえ、地域社会の現在のありようを通じて、教育のみならず、若者の就業支援や地域福祉といった課題までが、逆に照らし出される。

青少年向けの居場所などについて断片的な知識しかなかった私にとっては、紹介されている全国各地の施設や取り組みは非常に興味深く、とても勉強になりました。また、本書で繰り返し取り上げられる「茶堂」が、若者の居場所やコミュニティカフェの源流だという指摘はおもしろかった。

茶堂とは、四国や中国地方に見られた民族建築物で、集落のはずれや交通の要所(つまり外部との境界)に建てられている。一間か二間四方の簡素なつくりで、三方または四方は開放。多くは茅葺き。村はずれの東屋、和風のフォリーといった建物である。

この小さな空間は、旅人の休憩所や、行商人との取引き場所にもなり、住民が交代でお茶を振る舞った地区もあるという。また祭礼や酒宴など、集落内部の行事にも使われていた。境界の空間ゆえに共同体の内外に開かれ、集落ごとに所有・管理し(=非制度的)、その時々に応じて多目的に使用される空間である。こうした空間が、地域コミュニティの維持を担っていたというのがおもしろい。

さっそく試しに、茶堂とコミュニティとの関係という見立てで、芝の家はじめ各地のコミュニティカフェの事例を紹介させていただいた。欧米(ドイツとカナダ)の研究者向けに、「日本的コミュニティセンター」という説明をしてみたのだが、縁側の機能や通りとの接し方、コミュニティのなかでの位置づけなど、興味深く聞いてもらえたようだ。コーヒーハウスやカフェがどちらかというと都市のブルジョア文化に結びつき、地方は教会がコミュニティの中心に位置している欧米的なコミュニティとコミュニティ空間の関係に対して、農村の共同体を支える茶堂という見立ては、日本特有のコミュニティ空間の在り方を考える上で有効だと思った。

茶堂のコミュニティ機能は、戦後は公民館にその役割を委譲してきたといえるようだ。また飲食機能は、近世以降、茶店など現在の飲食店に発展したともいえるのかもしれない。時代にあわせた進化ともいえるのだが、それゆえ逆に、茶堂が本来持っていた「境界性」と「非制度性」は失われてしまった。いま、「普通の人たち」が協力しあい、地域の居場所やコミュニティカフェという形で新たな「境界性」と「非制度性」をもつ場をつくろうとしていることは、従って極めてまっとうな「先祖帰り」といえるのかもしれない。