子ども手当の使い途

by SAKAKURA kyosuke | 2010/ 03/ 19 | Posted in notes,[notes]芝の家,居場所/コミュニティカフェ | 

子ども手当が支給されても子育ての不安は解消しない、という記事を読んだ。

当然だと思う。子育てに対する不安の根源は、子育て中に誰かの手を借りたくなっても、頼れるのは金銭で買えるサービスだけという社会の構造にあるからだ。「子どもは自分でがんばって育てなければならない(=そのためにはたくさんのお金を用意しておかなければならない)」という孤独感が、その底にある。だから、少しばかりの手当をもらっても、それで安心できるわけはなくて、もしものときの「自力」を可能な限り高めておくために、多くの親は手当を貯蓄にまわすだろう。

「芝の家」にいると、子育ては親だけががんばらなくてはならないという考えが、かなり偏ったものの見方なのではないかと思えてくる。地域のいろいろな世代の人同士の複雑な関わり合いのなかで子どもたちが育っていくのを目の当たりにすると、少しくらい手がまわらなくてもそのぶん近所の人たちが面倒をみてくれるだろうし、困ったことがあれば気軽に助けてもらってよいのだという安心感が湧いてくる。世話になった分は、自分が提供できることでお返しすればよい。それがたとえばお年寄りの暮らしの助けにもつながるとしたら、むしろ積極的に近所の人にお世話になったほうがよいのではないか、とさえ感じる。「ご近所づきあい」と言えば陳腐だが、それを少しでも感じられる暮らしを実現することで、気が楽になるお父さんお母さんはかなり多いのではないだろうか。

子育ての不安は、お金の問題でもあるけれども、お互いさまの問題でもある。子育てを地域のお互いさまの問題にひらいていくほうが、家庭内で解決する問題にとどめるよりも確実に安心感は高まるだろうし、また、子育て世代以外の人たちにも、地域コミュニティにとっても、よい影響を与える可能性が高い。

子ども手当が支給されたとして、貯蓄や学費、生活費の足しにする以外の使い途はあるだろうか。たとえば年間の支給額のうち10万円を50世帯で出し合えば、たいていの地域に「芝の家」のような場所をつくることができるだろう。賃料の安い地域ならもっと少ない人数でもはじめられるだろうし、100世帯も集まればかなりの規模の取り組みができるはずだ。「芝の家」のような場所が小学校区にひとつくらいあれば確実に地域コミュニティはかわる(そして子育て観もかわる)と僕は思っているが、この不可解な政策を逆手に取って立ち上がるグループが現れたら痛快だ。もし、そんなことをはじめる方々がいらしたら、ぜひ教えてください。万難を排して応援に駆けつけたいと思います。:-)