はじまりがあって、終わりがあるもの
いつのことだったか定かではないが、とあるフォーラム(かなんか)で「ワークショップとは何か」を問われたファシリテータ(しかも、どなたか忘れた。我ながらずさんな記憶力だが、熟練の一人だったことは確か)が、「うーん、はじまりがあって、終わりがあるもの」と答えていた。
この答えには、腰を抜かすほど驚いた。「はじまりがあって、終わりがあるもの」って・・・。そんなのあたりまえでしょう、と思ったのだ。いやむしろ、はじまりと終わりのないもののほうが少ないだろう、と。そのときの僕はそう思った。
しかし、いまこの「はじまりがあって、終わりがあるもの」という答えを聞いたら、激しくうなずくのじゃないか、と思う。ワークショップなんて、はじまりと終わりさえあれば、その間の時間は、何か特別のことなんかなくても、自然にその時その場でしか起こりえない出来事で満たされていくようなものなのじゃないか。むしろ、そこに集った人たちのあいだにある、あわい気持ちたちの生き生きと動き出すような場こそがワークショップなのであって、そうしたことたちを無視して設計されるプログラムの部分だけを指してワークショップということは、やっぱりちょっと違うだろうと。
なるほど、そういうことでしたか。この数年間、僕自身も経験を重ねて、無意識に積み上がっていた言葉にならない「何か」があったのでしょう。それをビタリと言い当てる言葉も、実は自分のなかに既にあった。それらが今日、自分の身体のなかでばったりと出会った感じ。あたりまえのことほど、腑に落ちるまでに時間がかかる。