フォーラムg、写真は・・・。

by SAKAKURA kyosuke | 2009/ 05/ 17 | Posted in etc,notes | 

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参加者、ゲスト、スタッフあわせて約90人の方々と、2泊3日の濃密なフォーラムを終えました。

ワークショップフォーラムgのサイトに、とりあえず集合写真が掲載されています。3日間の様子は、(たぶん6月に入ってから)同サイトで公開予定です。現在、永福町方面で写真の編集・アップロード作業が進んでいるはずなので、準備が整ったらこちらでもお知らせしたいと思っています。

写真といえば、本来撮影をお願いしていた写真家の横田さん、円城寺さんが相次いで参加できなくなり、3日間を通して、僕ともう一人のスタッフが撮影を担当しました。

そんなわけで、ファインダ越しにフォーラムの進行にずっと伴走していたわけですが、撮影者の心理は、場の抑揚にもろに影響されます。しかも、僕は準備側の人間でもあるので、参加者の気持ちや行動に人ごとではいられないところがあって、参加者が楽しそうにしていたり、あるいはとまどっていたり、また熱く議論していたりというエネルギーの満ち干きの波を、全身でかぶってしまう。場に寄り添って、丁寧に撮影をしようと思えば思うほど、精神的身体的に、こたえる仕事でした。これからアップされるだろうフォトレポートが、参加者や来られなかった人に、喜んでもらえると嬉しいのだけど。

また、なかには「シャッターの音が気になる」という意見もあって、これには非常に動揺しました。逆に「カメラマンも一緒に場にいた感じがあったから、気にはならなかった」と言ってくれる人もいたのですが、これまでかなり多くのワークショップ写真を撮ってきたにもかかわらず、このときばかりは、写真を撮るってことがちっとも客観的ではなく、場に強い影響を与えてしまうということを改めて突きつけられ、かなり戸惑いもしました。

東京へ戻ってからもしばらく割り切れず、もやもやと考えていたのですが、気にしない人もいる反面、シャッターのバシャッと切れる音を、身を切られるような想いで聴く人もいる。その痛みのようなものを、少しずつ想像できるようになってきたように感じています。フォーラム中、僕は良い写真を残したい、という誠実な想いで撮影はしていたけれども、身を切るほどの覚悟を持ってシャッターを切っていたわけではない。

もともと、写真は、残酷です。この点については、スキルや配慮とは別次元で、本質的にどうしようもないなあ、と思う。でも、デジカメやケータイで気軽に写真が撮れるようになってから、アクチュアルな時間を写真に切り取ることの切実さや怖さを、うっかり忘れていたようにも思います。

その後も、毎日のように写真を撮っています。芝の家で遊ぶ子どもたちの様子、授業でのワークショップなどを。相変わらず良い写真を撮りたい、写真を見た人に喜んでもらいたい、という欲望もありますが、それとは別の次元で、シャッターを切ることの冷徹さ、乱暴さを、知っていたい、と思うようになりました。諦観でも開き直りでもなく、人の気持ちの流れる時間を切り取らざるをえないことに対する透徹した真摯さとともに、シャッターを切っていきたいと思っています。