小さな神話

by SAKAKURA kyosuke | 2017/ 03/ 31 | Posted in etc,notes | 

芝の家卒論発表会、りこちゃん・きょんみんちゃんのよるしば卒業。かなちゃんの食堂もあと1日。GI学校のインターン発表会のときも感じたのだけど、彼/彼女たちの何かを掴みとった達成感と自信に満ち溢れた姿を目の当たりにするとき、本当に感動するというか、大きなエネルギーをもらえたようで、感謝の気持ちがじわりと湧いてくる。がんばりました!って我が子のように褒めたくなるのではなく(もちろんそういう気持ちもあるけれども、むしろ)ありがとう!って心から伝えたい感じ。なんだろう、この感情は。「若者の成長を見守る」みたいな紋切り型の上から目線とは、まったく質的に違う。

彼/彼女の経験は、教えられたことを習得したり与えられたミッションを成し遂げたりという学校的な学習ではない。あるきっかけが引き金となってそれまでの日常的な常識や人間関係から離脱する(インターンや活動をはじめる)。地域社会とか多様な人たちとか学問的課題とか、とにかく彼/彼女らはそこでこれまで体験したことのなない何かに向き合い、乗り越える(とまどいながらも周囲の力を借りて実践し成し遂げる)。そして、新たな世界観をまとって戻って来る(経験を報告する)。

これ、昨晩気づいたのだけど、キャンベルの神話の構造そのままだ。若者の育ちを見守っていると思っている私たちは、実は、英雄の物語に参加し、それを間近に目撃しているのだ。未熟だった若者が非日常の世界に飛び込み、苦労しながらも私たちの遠く及ばない力と世界観を身につけ、何かを成し遂げ、ヒーロー/ヒロインとして目の前に戻って来る。その姿に私たちは畏敬の念を持たざるを得ないし、同時に、その物語を通して我々は、世界を見る新鮮な視点を与えられ、未来に希望を見出すことができる。気持ちの基層から湧き上がる不思議な感動と感謝には、人間が昔から持っていた神話的な理由があるのではないか。(こうしたコミュニティの原理的なエコシステムを、安易に「アクティブラーニング」といった枠に収めるべきではないのは言うまでもないだろう。)

みなさんの物語=小さな神話たちは、これからも私たちの地域のなかで口々に伝えられていくことでしょう。その口承の物語を語り聴くたびに私たちは、他者に対する敬意と、世界に対する新鮮な眼差しと、未来に対する勇気を瑞々しく思い出し、繰り返し生き直すことができます。本当にありがとう。そして、ご卒業おめでとうございます!

17632367_10209111801012303_7652721991262322516_o