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	<title>OPEN WORKS &#187; etc</title>
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	<description>SAKAKURA kyosuke Web Site</description>
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		<title>小さな神話</title>
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		<pubDate>Fri, 31 Mar 2017 05:24:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[芝の家卒論発表会、りこちゃん・きょんみんちゃんのよるしば卒業。かなちゃんの食堂もあと１日。GI学校のインターン [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>芝の家卒論発表会、りこちゃん・きょんみんちゃんのよるしば卒業。かなちゃんの食堂もあと１日。GI学校のインターン発表会のときも感じたのだけど、彼／彼女たちの何かを掴みとった達成感と自信に満ち溢れた姿を目の当たりにするとき、本当に感動するというか、大きなエネルギーをもらえたようで、感謝の気持ちがじわりと湧いてくる。がんばりました！って我が子のように褒めたくなるのではなく（もちろんそういう気持ちもあるけれども、むしろ）ありがとう！って心から伝えたい感じ。なんだろう、この感情は。「若者の成長を見守る」みたいな紋切り型の上から目線とは、まったく質的に違う。</p>
<p>彼／彼女の経験は、教えられたことを習得したり与えられたミッションを成し遂げたりという学校的な学習ではない。あるきっかけが引き金となってそれまでの日常的な常識や人間関係から離脱する（インターンや活動をはじめる）。地域社会とか多様な人たちとか学問的課題とか、とにかく彼／彼女らはそこでこれまで体験したことのなない何かに向き合い、乗り越える（とまどいながらも周囲の力を借りて実践し成し遂げる）。そして、新たな世界観をまとって戻って来る（経験を報告する）。</p>
<p>これ、昨晩気づいたのだけど、キャンベルの神話の構造そのままだ。若者の育ちを見守っていると思っている私たちは、実は、英雄の物語に参加し、それを間近に目撃しているのだ。未熟だった若者が非日常の世界に飛び込み、苦労しながらも私たちの遠く及ばない力と世界観を身につけ、何かを成し遂げ、ヒーロー／ヒロインとして目の前に戻って来る。その姿に私たちは畏敬の念を持たざるを得ないし、同時に、その物語を通して我々は、世界を見る新鮮な視点を与えられ、未来に希望を見出すことができる。気持ちの基層から湧き上がる不思議な感動と感謝には、人間が昔から持っていた神話的な理由があるのではないか。（こうしたコミュニティの原理的なエコシステムを、安易に「アクティブラーニング」といった枠に収めるべきではないのは言うまでもないだろう。）</p>
<p>みなさんの物語＝小さな神話たちは、これからも私たちの地域のなかで口々に伝えられていくことでしょう。その口承の物語を語り聴くたびに私たちは、他者に対する敬意と、世界に対する新鮮な眼差しと、未来に対する勇気を瑞々しく思い出し、繰り返し生き直すことができます。本当にありがとう。そして、ご卒業おめでとうございます！</p>
<p><img src="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2017/03/17632367_10209111801012303_7652721991262322516_o.jpg" alt="17632367_10209111801012303_7652721991262322516_o" width="400" height="267" class="alignnone size-full wp-image-918" /></p>
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		<title>神山町へいたるくねくね道</title>
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		<pubDate>Fri, 21 Oct 2016 11:26:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<category><![CDATA[notes]]></category>

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		<description><![CDATA[神山町が進めている集合住宅プロジェクトについて、コミュニティづくりの観点から研究をご一緒させていただくことにな [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/12/14724409_10207799899775592_3737185245953069063_n.jpg"><img src="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/12/14724409_10207799899775592_3737185245953069063_n-300x300.jpg" alt="14724409_10207799899775592_3737185245953069063_n" width="300" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-882" /></a></p>
<p>神山町が進めている集合住宅プロジェクトについて、コミュニティづくりの観点から研究をご一緒させていただくことになり、昨日今日はその打ち合わせとか勉強会への参加とか。これからが楽しみ。<br />
で、今日午前の田瀬さんと西村さんのトークを聞いていて腑に落ちたこと。市内から最短ルートで上がる道路は、鮎喰川じゃなくて隣の水系についた道なのだそう。道理で！車で町に入るとき「なんか神山町って突然現れるよね、不思議だよねー」と前回来たときに話していたのでした。隣の川筋からトンネルで山を抜けて町に入るので、急に神山になる違和感には理由があったのです。なるほどー。<br />
ということで、帰りは鮎喰川に沿ってくねくね下るルートで市内に戻りました。写真はその途中の鮎喰川。この川を上っていったところに神山町がある。それを実感すると、特別なものはなにもないのになぜか感じる風景の居心地の良さの秘密に触れられたような気がするとともに、この奥にあの開けた町があることの凄さを改めて感じたのでした。とてもよい体験でした。<br />
そしてその結果、見事に飛行機に乗り遅れ（くねくね道は夕方の市内の渋滞とも相まって予想以上に時間がかかったのでした）。今晩は空港近くに緊急泊となりました。明日は塩尻に直行します。:-)</p>
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		<title>まちづくりとは、「どんなふうに生きていきたいか？」を問い続けること</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Sep 2016 13:31:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「マッチョなまちづくり」とは違う何か。これからの地域づくりにもとめられる軸が見えてきた、置賜「人と地域をつなぐ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/09/14390989_10207535641449299_5698276337214759619_n.jpg"><img src="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/09/14390989_10207535641449299_5698276337214759619_n.jpg" alt="14390989_10207535641449299_5698276337214759619_n" width="400" height="266" class="alignnone size-full wp-image-888" /></a></p>
<p>「マッチョなまちづくり」とは違う何か。これからの地域づくりにもとめられる軸が見えてきた、置賜「人と地域をつなぐ事業」の2日間でした。参加者の過半数が女性、お父さんも赤ちゃんと参加、スタッフと参加者が交互に赤ちゃんの面倒をみながら、地域と自分たちのこれからを真剣に話し合う場。障害とか子育てとかいろいろあるけれども、自分らしく生きていける地域でありたい。実際、「どんなふうに生きていきたい？」というダイアログから出てきた思いは、幸福の4因子が網羅されていたのが印象的でした。こうした幸せを人生を通じて、世代を超えて持続していける地域にするためには、大きな規模で素早くオラオラ変革していくまちづくりだけでなく、そんな想いを共有できるしなやかでゆるやかなネットワークかもしれません。ゆるやかでふわっとした活動は、ゆるやかでふわっとしている分だけ意味やニーズがぼんやりしているわけではなくて、これまでは気付かれなかった「ゆるやかでふわっとしている」ことそのものの価値を持つのではないか。こんなことを、引き続き置賜の方々と考え、実践していきたいと思います。</p>
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		<title>オープンイノベーションへの切実な期待</title>
		<link>http://sakakura.jp/cahiers/2016/notes/892/</link>
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		<pubDate>Thu, 25 Aug 2016 13:40:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[モントリオールに来ています。Open Living Labというカンファレンスで。日本からは私とACTANTの [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/09/14068294_10207349090905652_49267039614237054_n.jpg"><img src="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/09/14068294_10207349090905652_49267039614237054_n.jpg" alt="14068294_10207349090905652_49267039614237054_n" width="400" height="267" class="alignnone size-full wp-image-887" /></a></p>
<p>モントリオールに来ています。Open Living Labというカンファレンスで。日本からは私とACTANTのEmily Kimuraさんだけ。と思ったら、高齢社会研究で高名な東大のA先生もいらしていて、楽しく議論したりご飯食べたりさせていただいています。たいへん勉強になります。<br />
私自身ははじめてLiving Labの集まりに参加した新参者ですが、日本にもどんどん取り込めそうとかむしろ日本のほうがもっと意欲的な取り組みができそう！というワクワクを感じる反面、なんというか、ヨーロッパの都市政策や社会デザインの文脈の前提になっている、「マルチステークホルダーの協働によるポスト工業社会の新しい価値創造の方法論を今きちっと確立しておかないとまずい！」という切迫感というか本気度というか真実味みたいなものが、日本に持ち帰ったとたんに、あれやこれやあるなかの一つの気の利いた（極端に言えば、「あったらいいけど、別になくても構わない」ような）ひとつの傍流に見えてしまうのが、ちょっともったいないなあ、と思ったり。うーん。なんかそういう部分をもうちょっと考え続けてみたい。<br />
とか思いつつ、そうだ、このカンファレンスに参加した目的は、「ご近所ラボ新橋」を東京発のLiving Labとして紹介できそうかどうかを探りに来たのでした。市民が自分たちが欲しい社会を自分たちの手でつくっていくためのラボ、という点ではご近所ラボもLiving Lab。ぜひ遠くない将来、ヨーロッパで紹介したいと思います。ラボのみなさん、どうかよろしくお願いします。:-)</p>
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		<title>フレッシャーズキャンプにて</title>
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		<pubDate>Sat, 09 Apr 2016 05:21:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[昨年に引き続き、今年もフレッシャーズキャンプに参加。川越でのフィールドワークのあと、秩父で宿泊。二日目は、江戸 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>昨年に引き続き、今年もフレッシャーズキャンプに参加。川越でのフィールドワークのあと、秩父で宿泊。二日目は、江戸東京たてもの園を見学。</p>
<p>はじめてのことに目を輝かす新入生、運営に一生懸命あたる2・3年生と一緒に2日間過ごして、教員も、頭と気持ちがリフレッシュされます。もっとよい学部にしていきたいな、と思う帰り道。</p>
<p>写真は、たてもの園の林。</p>
<p><a href="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/04/12961549_10206424332227263_6272868163671634479_n.jpg"><img src="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/04/12961549_10206424332227263_6272868163671634479_n-300x300.jpg" alt="12961549_10206424332227263_6272868163671634479_n" width="300" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-866" /></a></p>
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		<title>新しい年度に向けて</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Mar 2016 09:57:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[右も左もわからずバタバタと過ごした2015年度も今日でおしまい。一つひとつの仕事をもっと丁寧にできたらよいのに [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>右も左もわからずバタバタと過ごした2015年度も今日でおしまい。一つひとつの仕事をもっと丁寧にできたらよいのにと思いつつ、ひたすら目先のことに追われてしまった感じが残っていますが、新しく着任した学部の運営や授業準備・研究室の学生指導のほかにも、前橋や湯河原のプロジェクト、佐賀大での新しい授業、JSTや世田谷まちづくりファンドやそのほかいくつかの委員会など、振り返ってみると今年度からはじまった仕事も意外と多くて、そりゃあアワアワしても仕方ないか、と思い直す年度末。そうそう、博論は公聴会まで進みました。あと一息がんばります。:-)</p>
<p>明日からの新しい年度は（博論の提出が第一目標ですが）、さらにそれぞれの仕事の質を高めたいと思っています。世田谷や山形でのプロジェクトもはじまりそうだし、芝の家やGI学校の本はぜひとも今年準備を進めたい。とはいえ、経験上プロジェクト数が20を超えると、ガクッと脳みそのパフォーマンスが下がるので、新年度は「プロジェクトの上限は20まで」を守って、欲張りすぎずじっくりと向き合っていきたいと思います。</p>
<p>1月には、<a href="http://sakakuralab.com">研究室のウェブサイト</a>もオープンしました。まだまだ内容はこれからですが、研究成果もしっかり発信していきたいなあ。よかったら一度のぞいてみてください。</p>
<p><a href="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/04/スクリーンショット-2016-04-01-18.55.27.jpg"><img src="http://sakakura.jp/cahiers/wp-content/uploads/2016/04/スクリーンショット-2016-04-01-18.55.27-250x300.jpg" alt="スクリーンショット 2016-04-01 18.55.27" width="250" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-861" /></a></p>
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		<title>我と汝とのあいだに存在するアート</title>
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		<pubDate>Sat, 12 May 2012 14:15:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　感情は＜所有される＞が、愛は生起する。感情は人間のうちに住む、しかし愛はそうではなく、人間がみずからの愛のう [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>　感情は＜所有される＞が、愛は生起する。感情は人間のうちに住む、しかし愛はそうではなく、人間がみずからの愛のうちに住むのである。これは比喩ではなくて、事実である。すなわち愛は「我」に付着して、「汝」をただ＜内容＞や＜対象物＞として所有したりはしない。愛は「我」と「汝」との「あいだ」に存在するのである。このことを識らぬ者、みずからの存在でもってこのことを識っていない者は、たとえ彼が自分の体験し、経験し、享受し、表出する感情を愛であると思いこんでいようとも、愛を識らぬのだ。愛とはひとつの宇宙的なはたらきなのである。だから、愛のなかに立ち、愛のなかにおいて観る人間にたいしては、ひとびとはみな、そのせせこましい営みとのかかわり合いから解き放たれ、善きも悪しきも、賢きも愚かも、美しきも醜きも、交わるがわる生きた現実となり、「汝」となり、解放され、歩み出てきて、かけがえのない唯一の実在として彼に向かいあうのである。（マルティン・ブーバー『我と汝』）</p></blockquote>
<p>今日は終日、書斎で原稿書き。ブーバーの『我と汝』。「愛」を「アート」に置き換えて、読んでみる。アートは、汝を内容や対象物として所有したりはしない。アートは我と汝とのあいだに存在する。それを識らない者は、たとえ彼が自分の体験し、経験し、享受し、表出する感情をアートだと思い込んでいても、アートを識らない。アートはひとつの宇宙的なはたらきなのだ。アートのなかに立ち、アートのなかにおいて見る人間に対しては、人々は解き放たれて、善きも悪しきも、賢きも愚かも、美しきも醜きも、交わるがわる生きた現実となり、汝となり、解放され、歩み出てきて、かけがえのない唯一の実在として彼に向かいあう。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「開き直り」の逆は「閉じ壊れ」</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Nov 2011 08:01:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「開きなおり」という言葉って素敵だなと思った。問題は解決していないけれども、まずはオープンにすることで、なおり [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「開きなおり」という言葉って素敵だなと思った。問題は解決していないけれども、まずはオープンにすることで、なおりはじめる。少なくとも状況は変わりはじめる。逆の言葉があるとしたら・・・、「閉じ壊れ」？　閉じ壊れていく人間や組織なんて、なんともおそろしい。</p>
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		<title>この世では、待つことを学ばなければならない</title>
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		<pubDate>Mon, 26 Sep 2011 09:39:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<description><![CDATA[たとえば、流星のおちる音。 おうむが内心ほんとうにいいたかったことば。 それに、盲導犬の生まれながらのほえ声。 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>たとえば、流星のおちる音。<br />
おうむが内心ほんとうにいいたかったことば。<br />
それに、盲導犬の生まれながらのほえ声。<br />
これらは、今のぼくにはきこえない。音がしないんじゃない、遠すぎる。要するに、距離の問題だ。ひとははじめからきこえる音でやっていくしかない。きこえるべきものは、そのときがくればちゃんと耳にとどく。<br />
熟練のティンパニ奏者のように、ぼくは待つことを学ばなけりゃならない。それはなかなかにむずかしい。ばかといわれても、へんてこ呼ばわりされても、けっしてばちを捨てず、ステージのいちばんうしろでじっと立っていること。そのときをきき逃さぬよう、ちゃんと耳をかたむけて。<br />
ずっと長いあいだ、ぼくのまわりには音があふれてた。<br />
そして今もあふれてる。<br />
でたらめなこの世の騒音は、たったひとつのリズムがきっかけで、目の覚めるような音楽となる。<br />
（いしいしんじ『麦ふみクーツェ』、理論社、2002年、406頁）</p></blockquote>
]]></content:encoded>
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		<title>ほめられもせず、けなされもせず。</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Aug 2011 03:45:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>SAKAKURA kyosuke</dc:creator>
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		<category><![CDATA[notes]]></category>

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		<description><![CDATA[必要があって書き写したので、ついでに。 セルフエスティーム、「自分を大切にする」ということ。加藤さんのこの説明 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>必要があって書き写したので、ついでに。<br />
セルフエスティーム、「自分を大切にする」ということ。加藤さんのこの説明は、とてもしっくりくる。</p>
<blockquote><p>正解は外側にあるという奴隷の原理</p>
<p>セルフエスティームとは「自分自身の価値を認め、自分が好きであり、自分を大切にできる」という、日本語になりにくい言葉なんですけども、私たちの社会はこれをむちゃくちゃに壊しているんじゃないか。特に近代教育の「正解は外側にある」という枠組みがこれを壊しているんじゃないかと思うんです。セルフエスティームを育てたりはぐくむということは、近代教育の枠の中とは違った場や空間をいかに上手にしつらえていくかです。それがないとセルフエスティームは育たない。「ほめる」ということでそれをやろうという主張もあるんですが、「ほめる」というのは「けなす」というのと同じであって、他人の評価によって自分を獲得するということなので、これでは大差ないです。もちろん他者によって自分がみえるからセルフエスティームは形成されるわけですが、その他者のみえ方というのが「ほめる」という行為によってしか見えないのでは、その他人の評価と顔色を気にする人間を作っているに過ぎないんです。これは根本的にはセルフエスティームが育つとは言えないわけで、ほめられもせず、けなされもしないのに、あるいは誉められようが、けなされようが、自分が自分であることを肯定できる状態があり得る、ということを土台におかなくてはいけないと私は感じているわけなんです。</p>
<p>加藤哲夫『市民の日本語　NPOの可能性とコミュニケーション』、ひつじ市民新書、2002年、44-45頁。</p></blockquote>
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